演習001

雑記。

いい本感想:『シメジ シミュレーション 02』


つくみずの思想的な傾向がよく表れている。

つくみず『シメジ シミュレーション 02』の感想。ちなみに第1巻の感想は書いていない。 頭にしめじの生えた女子高生月島しじまと、頭に生まれつき目玉焼きが乗っている女子高生山下まじめの二人を中心とした学園日常漫画である。 今のところ巻ごとに話が区切られていて、前半の数話で学園や街の日常とキャラの紹介、中盤で何やら不思議なことが進行しはじめ、最後は日常の枠が外れて「街」ではないどこかへと突破し、戻ってくるという構成になっている。 基本は4コマ漫画なのだが、その形式にはあまり拘らず、コマの外の書き込みや、枠線以外でのコマ区切りなどマンガ的表現も凝っている。 まじめちゃんの不格好な明るさを除けば、作品全体に気怠げな、やる気のない、あるいは鬱々とした空気が漂っていて、私好みである。

リバース・エンジニアリング

(合ってるかどうかは知らない)

思想系の人々の中には科学趣味を持っている向きがある。私はつくみずを自然哲学寄りの思想系の漫画家だと思っているのだが、今回の『シメジ シミュレーション 02』ではその傾向が前面に出てきている。まずなによりも今巻の主題が「地球に穴を開けてそのトポロジーを変えてやろう」というものであるし、永久機関が不可能であることを著者がわかっているから、ヒラメによる未知の相互作用を導入してみたりしているし、高校物理くらいの計算も出てくる。特に、前巻からの穴掘り部とトポロジーを結びつけた点と、永久機関の動力を未知の相互作用だと言い切ってしまうあたりのセンスがいい。相互作用こそ現代物理学の神髄であるから。

科学趣味だけでなく文学や哲学もいろいろ嗜むようで、それを象徴する図書館の主(ただし盲目ではない)が登場するが、その言い回し(「(木の構造と)同様の幾何学を得て重力に逆らい命として屹立する」とか)には、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』やパスカルの『パンセ』の影響を感じずにはいられない。あと『トゥルーマン・ショー』が出てくるのも好きだ。

とまあリバース・エンジニアリング的楽しみ方をしているのだが、私はこういう思想系というか哲学をかじっているような感じの人の作品が好きだ。私自身にも覚えがあり、デカルトの『方法序説』やそれこそ『パンセ』、『ツァラトゥストラかく語りき』、『エチカ』などに取り組んで返り討ちにあい、さらには『論理哲学論考』や『統辞構造論』などにまで手を出してみたことがある(少女終末旅行のアンソロに出てきたシュレディンガー『生命とは何か』とかももちろん)。そして、得るものがなかったわけではないが、最終的にはそのすべてに敗れてきた。

これらの試みは私の場合「自分が生きているこの世界を理解したい」とか「世界はつらいので救済がほしい」とかいう動機から出発していた。世界を理解・解釈するといえば哲学だろうという短絡的な思考である。私はその後物理学的な世界の解釈や予言能力、反証可能性が気に入り、そっちに逸れていった。つくみずが進もうとしてもがいているのは、私にはなし得なかった道なのである。

そんなこんなで気になっているので、ぜひ頑張って欲しい。一読者の無責任故の言葉なのでご寛恕いただきたいが、バートランド・ラッセルあたりを読んでセンス・データの話をしてみたりしていただきたい。

いいアニメ感想:ストライク・ウィッチーズ ROAD to BERLIN

第3シーズンで久しぶりの映像化であるからか,とても気合の入った作画とストーリー.

特にラスボスに関して,前2シーズンは軍事ネタがメインでそちらに明るくない私はいまいちノリきれなかった.赤城とか大和とか.しかし今シーズンではベルリン奪還が背骨として通っているため,最終戦闘ではベルリンを包囲する壁型の敵,ナチのベル型飛行物体(Die Glocke),まぼろしの世界首都ゲルマニアなどが躍り出てくる.軍事・兵器モノを超えて世界偽史っぽさまで漂わせており素人でもワクワクできた(ヒトラーに対応する人物の存在まで言及されている.退位させられた皇帝!).ありがたい.1

RtBに続いて『発進しますっ!』シリーズの続編があるらしいが,実はこちらのスピンオフの方が本編より好きだったので嬉しい.1940年代の文化的差異のネタが多くて面白いですねはい.


  1. いや前々から歴史改変モノといえばそうだった気もする.アニメ視聴者にもわかりやすく前面に出てきた,という感じか.

いい本感想:『虎よ,虎よ!』

Alfred Bester著,中田耕治訳『虎よ,虎よ!』の感想.

さまざまなSF作品に影響をあたえている名作.たしか小島秀夫Twitter経由で知ってずいぶん前に買ってあったが,なんとなく積んでいた作品.なぜいまになって読もうと思ったのか?

前置き

去る2020年08月07日より公開中の映画『少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト ロンド・ロンド・ロンド』.この映画をおもしろく観終えた私が余韻に浸りながらツイッタで感想を眺めていると,なんだかざわざわした雰囲気を感じた.『ロンド・ロンド・ロンド』に続く続編の予告が劇中で行われたのだが,そこで出てきたある単語に関して興奮している勢力があるらしい.その単語とは

〈ワイルドスクリーン・バロック


新作劇場版は〈ワイルドスクリーン・バロック〉だと予告されたのだった.確かにキリンのセリフに耳慣れない物があった気はしていたが,認識できていなかった.

公式サイトに確認に行った.回っている丸いキリンのマークを押すと新作劇場版の紹介に切り替わり,一瞬だけwi(l)d-screen baroqueの文字が浮かんで消える.なるほどなあ.

そこにはたしかに wi(l)d-screen baroque の文字がある.カッコ内に小文字のL.これをはずして読めばワイドスクリーン・バロック.SFのサブジャンルの1つであるワイドスクリーン・バロックである.

この接続はかなり衝撃的である.『レヴュースタァライト』は演劇とバトルロイヤルを組み合わせて幻想方向に突破するような作品である.超自然的な要素は存在するものの,それらは理屈付けされはしないし(なぜ舞台装置が勝手に動き出すのか,なぜキリンが喋るのか),クライマックスを除いてあまり重要視されもしない.ワイドスクリーン・バロックというジャンルは,というかそれ以前にSFという枠組みは『レヴュースタァライト』のスタイルからは一歩以上にずれたものに思える.

そんな感じで『レヴュースタァライト』とSFの予想外の接合に興奮したものの,実はワイドスクリーン・バロックについては名前くらいしか知らなかった.そこでちょっと調べ始めたところ,代表的な作品の1つにアルフレッド・ベスターの『虎よ,虎よ!』があるではないですか.これなら本棚に飾ってあるのですぐ手に取れる.これを読んで〈ワイドスクリーン・バロック〉の感覚を得よう.

ワイドスクリーン・バロック

とはいえまずは調べてみよう.ワイドスクリーン・バロックとはなんぞや.しかしこの単語で検索しても,たかだかSFのサブジャンルの1つでしかなく別段盛り上がっているわけでもないので,あんまり情報は出てこない.Wikipedia以外ではこちらの記事が参考になりそう.

上っ面をさらった印象では,ブライアン・オールディスさんが一時期の北米SFの傾向につけた名前という感じで,他のSFジャンル,例えばサイバーパンクやニュー・ウェーブなどと比べると小規模な印象を受ける(海外でもあんまり話されてない?).またスペース・オペラと一部重なっているような気もしないでもない.まあ定義がうんぬんというのは正直どうでもいい.しかしオールディスの言った定義を見ておくのは無駄ではないかも.

ワイドスクリーン・バロックでは、空間的な設定に少なくとも全太陽系ぐらいは使われる──アクセサリーには、時間旅行が使われるのが望ましい──それに。自我の喪失などといった謎に満ちた複雑なプロット。そして、“世界を身代金に”というスケール。可能と不可能の透視画法がドラマチックに描き出されねばならない。』1

なるほどそうですか.でもまあ『スタァライト』ならこういうものも許容できるのかもしれない.作中劇の『戯曲 スタァライト』もSFになりそうな要素を含んでいるし.2

虎よ,虎よ,ぬばたまの

では,アルフレッド・ベスター『虎よ,虎よ!』の感想.

あらすじは次のような感じ.人類が太陽系中に播種し,精神作用のみによって瞬間移動をする〈ジョウント〉が誰にでも可能な時代.三等機関士のガリヴァー・フォイルは,漂流した宇宙船《ノーマッド》の内部でほとんど死にかけていた.綱渡りを繰り返すようにギリギリで漂流していたフォイルは,そばを通りかかった宇宙船《ヴォーガ》に見殺しにされる.《ヴォーガ》に対する復讐心によって進化したフォイルは,なんやかんやあって地球に帰還し,復讐を果たそうとじたばたする.

何よりもまず物語の速度が速い.ズンズンとお話が進んでいき,その間にいくつものアイデアとガジェットが散りばめられている.基幹となるのはジョウント博士により発見されたテレポーテーション能力〈ジョウント〉と主人公ガリヴァー・フォイルの復讐であるが,全身刺青,テレパス,社会を牛耳る財閥,地下監獄とブルー・ジョウント,外衛星同盟と内惑星連合との戦争,奥歯で操作する加速装置,赤外のみが見える盲目のアルビノ,しばしば出現する燃え盛る男などなど,おもしろいあれこれに鞭打たれて物語は駆動していく.

『虎よ』はフォイルの復讐譚であり,かつビルドゥングス・ロマンでもある.フォイルはさまざまな人々と関わりあい,獄中で教育され,成り上がって社交界に乗り出し,敵の姫と恋に落ち,自らの罪への罰を求めるほどの倫理を獲得し,最後は民衆を次の時代に導こうとさえする.フォイルの行動は常にはちゃめちゃなので,眺めているだけでもおもしろい.

ブロックをめちゃくちゃに積んでいるようでも,出来上がってみるとなかなか見事に仕上がっている.そんな感じの構成な気がする.フォイルの動機も結構揺らいだりしているのだけど,一貫性がないなどとは感じなかった.


特にお気に入りなのは,赤外以上の波長の光のみが見える盲目のアルビノ,オリヴィア・プレスタインが,地球に落ちてくる核弾頭とそれを阻止する妨害電波の絶景を眺めて感嘆するシーン.ラグナロクめいた破滅的状況で,珊瑚色の瞳に真っ白な肌と髪をしたプレスタインのお姫様が,それまでの澄ました態度を翻して,嬉々としてフォイルに話しかける.終焉の美を含んだうつくしいシーンである.

加えて,冒頭に引用されるウィリアム・ブレイクの詩『虎』がかっこいい.ブレイクは本当にいろんなところで引用されているし,どれもすばらしい詩で大好きです.あと,最終盤でのタイポグラフィも,まったく予想してなかったので驚いた.かなり挑戦的ですね.好き.


さて『虎よ』の内容をさらっと攫ったところで,これがどのように〈ワイドスクリーン・バロック〉なのかを調べてみよう.確かに太陽系を舞台にしている.主人公フォイルがなぜさまざまな人々に追われているのか,唐突に現れる燃える男の正体,最後にフォイルはどのようになったのかなど,プロットは単純ではなさそう.それに最後には時間旅行(というか四次元ジョウント)もある.世界の命運,戦争の行先が,フォイルの行動によって左右されている.可能と不可能の透視画法(パースペクティヴ)というのはどうだかわからない.そもそもそれはなんなのか,この言葉だけじゃよくわからん.というわけでオールディスの言う〈ワイドスクリーン・バロック〉には,おおむね当てはまっているように思う.

おわり

『ロンド・ロンド・ロンド』に触発されて読んだ『虎よ』だったが,それ自体たのしく読めたのでよかった.奥歯の加速装置や身体に浮かび上がる文様など,どこかで観たことのある設定の元ネタに触れられてよかったという感もある.

『虎よ』を読むことで〈ワイドスクリーン・バロック〉の感覚を得たわけだが,〈ワイ(ル)ドスクリーン・バロック〉の方は一体どうなってしまうのだろうか? 『虎よ』はかなり暴力的だったが,『スタァライト』ではこれほどの暴力は出てこないだろう.空間的な舞台はどうか? 地球外に出ることがあるのか? 時間旅行は? 世界の命運は?

もちろん『スタァライト』は〈ワイ(ル)ドスクリーン・バロック〉であって〈ワイドスクリーン・バロック〉ではない,と言うことはできる.しかしせっかく言及したのだから,ぜひとも〈ワイドスクリーン・バロック〉的要素があって欲しいと私は期待する.そもそも劇場の上は無限の舞台,宇宙だろうとなんだろうと表現できる巨きさがあって欲しいと思っている.

とはいえ私は『スタァライト』はにわかなので(舞台版もゲーム版も観たことがないし,これから観ようという気力も今のところない),私のまったく知らない要素があって,それでSF的な要素を回収したりするのかも知れない.3 まあ,よくわからない.とりあえず来年の公開を待とう.4


  1. 上の冬木氏のブログからの孫引きです.申し訳ないです.

  2. 「これは遠い星の,ずっと昔の,遥か未来のお話」

  3. よく知らないが露崎まひるの好きな猫のキャラクターの名前がスズダルキャットというらしく,これはコードウェイナー・スミスの〈人類補完機構シリーズ〉の短編『スズダル中佐の犯罪と栄光』に由来しているらしい(この短編は『スキャナーに生きがいはない』に収録されているので後で読んでみよう).ほんとかどうかは知らない.

  4. 言い残しのないようにしておこう.『ロンド・ロンド・ロンド』に出てきた円錐の連なる図形は,SF脳的には連なる光円錐に見えなくもない.宇宙ジョイントしろ! 血によって「物語が次の上部構造に移る」というのはとてもかっこいい.いったい幾つの上部構造があるのか? 有限か無限か? こういうことを言われるとボルヘス方向もいいんじゃないかと思ってしまうぞ.

いい本感想:『日本SFの臨界点[恋愛編]』

伴名練編のSF短編集,『日本SFの臨界点[恋愛編]』を読み終えたので感想.

全作品の感想ではなく,書きたいやつだけです.

  • 『死んだ恋人からの手紙』中井紀夫

    時間異常書簡小説.超光速通信で手紙が届く時代(ただし到着時刻が前後したりする時間異常を伴う).地球にいるあくび金魚姫(あだ名らしい)のもとには,他の星の戦地にいる恋人からの手紙が届く.書簡は往復せず,あくび金魚姫宛ての手紙だけが読者に示される.その手紙に何が記されているのかはタイトルから明らかだけれど,手紙の受け手と送り主とに感情移入して読むとたいへんエモくてよい.

  • 『奇跡の石』藤田雅矢

    東欧PSI小説.バブル期の日本企業で行われていた超能力研究の一環として,東欧の小国を訪うことになった主人公は,超能力者ばかりの田舎町で二人の姉妹と出会う.語り口のせいなのかやけにノスタルジックな気分にさせられる上,東欧の寒村の情景がよく浮かぶ.旧共産圏の建物と町に惹かれる人の気持ちがすこしわかるようになった気がする.あと恋愛編に収録されてるけど,あんまり恋愛じゃないです(他にも恋愛じゃない収録作が結構ある.編者も前書きでそのことに言及している).

  • G線上のアリア高野史緒

    電話歴史改変小説.この著者の別作品『カラマーゾフの妹』をほうぼうで見かけていたので,どんな感じなんだろうなーと思って読んだ.電話技術が異常に発達した18世紀ドイツ,去勢歌手(カストラート)のミケーレと彼の庇護者(パトローナ)である弱視のウラニア嬢はある館を訪れている.会話のなかで示される電話機の<発見>と通信システムの発達,その崩壊.そして二人は館に置かれたある電話機に耳を澄ませる.ほとんどが設定語りだが,その設定が面白いので何も文句はない.特にイスラム文明によって発明された電話機を十字軍の際に西洋文明が発見するという設定がお気に入り.ただラストのギガバイトはちょっと苦しい気がしなくもない.もっと容量多くなりそう.

  • 『ムーンシャイン』円城塔

    数理幻想小説.講義室に横たわる一人の少女,その傍に少女の母,いくつものホワイトボードに群がる教授連.主人公はコルト・ガバメントM1911を手に警護を任される.一方の少女は約  8\times 10^{53} 基の塔の建つ街を征く.タイトルはモンストラス・ムーンシャインからで,それはモンスター群とモジュラー関数との間になりたつへんてこな関係性のことらしい.少女が住む街には十七や十九などの数も住んでおり,そこに建つ塔の数  8\times 10^{53} 基はモンスター群の位数のことっぽいので塔はそれぞれモンスター群の元ということになる.群が街ということですね(?).そしてお得意のセル・オートマトン趣味(ムーンシャインの命名コンウェイ先生だし)や分子生物学への飛躍もあり,超計算機的知性はよく分からない方向へと突破していく.

  • 『月を買った御婦人』新城カズマ

    メキシコ帝国歴史改変小説.メキシコは帝国だったことがあるんすね…(無知).メキシコ皇帝マクシミリアン1世の御代.名高い公爵の末娘,嬢(ドンナ)アナ・イシドラは若くして未亡人となるが,公爵の権力を受け継ぐ見込みのドンナのもとには五人の求婚者が集まることになる.そこで求婚者たちにドンナは月を要求する.メキシコ周辺の文化の言い回しも面白いし,原子核反応を分子閾下反応と言い換えて(さらにのちには原子反応(キュリー反応)と読ませている)ポアンカレの時代に登場させてみたり,『三体』や『アリスマ王の愛した魔物』よりも早いらしい人間集団コンピュータなど,端々のセンスがすごく私好みで面白く読めた.この小説が本短編集のトリなのだが,読後感もいいのですばらしい采配.これを読んで感想を書こうと思ったのでした.

円城塔目当てで読み始めたのですが,最後の新城カズマの作品が一番よかった気がします.