演習001

雑記。

いい本感想:『虎よ,虎よ!』

Alfred Bester著,中田耕治訳『虎よ,虎よ!』の感想.

さまざまなSF作品に影響をあたえている名作.たしか小島秀夫Twitter経由で知ってずいぶん前に買ってあったが,なんとなく積んでいた作品.なぜいまになって読もうと思ったのか?

前置き

去る2020年08月07日より公開中の映画『少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト ロンド・ロンド・ロンド』.この映画をおもしろく観終えた私が余韻に浸りながらツイッタで感想を眺めていると,なんだかざわざわした雰囲気を感じた.『ロンド・ロンド・ロンド』に続く続編の予告が劇中で行われたのだが,そこで出てきたある単語に関して興奮している勢力があるらしい.その単語とは

〈ワイルドスクリーン・バロック


新作劇場版は〈ワイルドスクリーン・バロック〉だと予告されたのだった.確かにキリンのセリフに耳慣れない物があった気はしていたが,認識できていなかった.

公式サイトに確認に行った.回っている丸いキリンのマークを押すと新作劇場版の紹介に切り替わり,一瞬だけwi(l)d-screen baroqueの文字が浮かんで消える.なるほどなあ.

そこにはたしかに wi(l)d-screen baroque の文字がある.カッコ内に小文字のL.これをはずして読めばワイドスクリーン・バロック.SFのサブジャンルの1つであるワイドスクリーン・バロックである.

この接続はかなり衝撃的である.『レヴュースタァライト』は演劇とバトルロイヤルを組み合わせて幻想方向に突破するような作品である.超自然的な要素は存在するものの,それらは理屈付けされはしないし(なぜ舞台装置が勝手に動き出すのか,なぜキリンが喋るのか),クライマックスを除いてあまり重要視されもしない.ワイドスクリーン・バロックというジャンルは,というかそれ以前にSFという枠組みは『レヴュースタァライト』のスタイルからは一歩以上にずれたものに思える.

そんな感じで『レヴュースタァライト』とSFの予想外の接合に興奮したものの,実はワイドスクリーン・バロックについては名前くらいしか知らなかった.そこでちょっと調べ始めたところ,代表的な作品の1つにアルフレッド・ベスターの『虎よ,虎よ!』があるではないですか.これなら本棚に飾ってあるのですぐ手に取れる.これを読んで〈ワイドスクリーン・バロック〉の感覚を得よう.

ワイドスクリーン・バロック

とはいえまずは調べてみよう.ワイドスクリーン・バロックとはなんぞや.しかしこの単語で検索しても,たかだかSFのサブジャンルの1つでしかなく別段盛り上がっているわけでもないので,あんまり情報は出てこない.Wikipedia以外ではこちらの記事が参考になりそう.

上っ面をさらった印象では,ブライアン・オールディスさんが一時期の北米SFの傾向につけた名前という感じで,他のSFジャンル,例えばサイバーパンクやニュー・ウェーブなどと比べると小規模な印象を受ける(海外でもあんまり話されてない?).またスペース・オペラと一部重なっているような気もしないでもない.まあ定義がうんぬんというのは正直どうでもいい.しかしオールディスの言った定義を見ておくのは無駄ではないかも.

ワイドスクリーン・バロックでは、空間的な設定に少なくとも全太陽系ぐらいは使われる──アクセサリーには、時間旅行が使われるのが望ましい──それに。自我の喪失などといった謎に満ちた複雑なプロット。そして、“世界を身代金に”というスケール。可能と不可能の透視画法がドラマチックに描き出されねばならない。』1

なるほどそうですか.でもまあ『スタァライト』ならこういうものも許容できるのかもしれない.作中劇の『戯曲 スタァライト』もSFになりそうな要素を含んでいるし.2

虎よ,虎よ,ぬばたまの

では,アルフレッド・ベスター『虎よ,虎よ!』の感想.

あらすじは次のような感じ.人類が太陽系中に播種し,精神作用のみによって瞬間移動をする〈ジョウント〉が誰にでも可能な時代.三等機関士のガリヴァー・フォイルは,漂流した宇宙船《ノーマッド》の内部でほとんど死にかけていた.綱渡りを繰り返すようにギリギリで漂流していたフォイルは,そばを通りかかった宇宙船《ヴォーガ》に見殺しにされる.《ヴォーガ》に対する復讐心によって進化したフォイルは,なんやかんやあって地球に帰還し,復讐を果たそうとじたばたする.

何よりもまず物語の速度が速い.ズンズンとお話が進んでいき,その間にいくつものアイデアとガジェットが散りばめられている.基幹となるのはジョウント博士により発見されたテレポーテーション能力〈ジョウント〉と主人公ガリヴァー・フォイルの復讐であるが,全身刺青,テレパス,社会を牛耳る財閥,地下監獄とブルー・ジョウント,外衛星同盟と内惑星連合との戦争,奥歯で操作する加速装置,赤外のみが見える盲目のアルビノ,しばしば出現する燃え盛る男などなど,おもしろいあれこれに鞭打たれて物語は駆動していく.

『虎よ』はフォイルの復讐譚であり,かつビルドゥングス・ロマンでもある.フォイルはさまざまな人々と関わりあい,獄中で教育され,成り上がって社交界に乗り出し,敵の姫と恋に落ち,自らの罪への罰を求めるほどの倫理を獲得し,最後は民衆を次の時代に導こうとさえする.フォイルの行動は常にはちゃめちゃなので,眺めているだけでもおもしろい.

ブロックをめちゃくちゃに積んでいるようでも,出来上がってみるとなかなか見事に仕上がっている.そんな感じの構成な気がする.フォイルの動機も結構揺らいだりしているのだけど,一貫性がないなどとは感じなかった.


特にお気に入りなのは,赤外以上の波長の光のみが見える盲目のアルビノ,オリヴィア・プレスタインが,地球に落ちてくる核弾頭とそれを阻止する妨害電波の絶景を眺めて感嘆するシーン.ラグナロクめいた破滅的状況で,珊瑚色の瞳に真っ白な肌と髪をしたプレスタインのお姫様が,それまでの澄ました態度を翻して,嬉々としてフォイルに話しかける.終焉の美を含んだうつくしいシーンである.

加えて,冒頭に引用されるウィリアム・ブレイクの詩『虎』がかっこいい.ブレイクは本当にいろんなところで引用されているし,どれもすばらしい詩で大好きです.あと,最終盤でのタイポグラフィも,まったく予想してなかったので驚いた.かなり挑戦的ですね.好き.


さて『虎よ』の内容をさらっと攫ったところで,これがどのように〈ワイドスクリーン・バロック〉なのかを調べてみよう.確かに太陽系を舞台にしている.主人公フォイルがなぜさまざまな人々に追われているのか,唐突に現れる燃える男の正体,最後にフォイルはどのようになったのかなど,プロットは単純ではなさそう.それに最後には時間旅行(というか四次元ジョウント)もある.世界の命運,戦争の行先が,フォイルの行動によって左右されている.可能と不可能の透視画法(パースペクティヴ)というのはどうだかわからない.そもそもそれはなんなのか,この言葉だけじゃよくわからん.というわけでオールディスの言う〈ワイドスクリーン・バロック〉には,おおむね当てはまっているように思う.

おわり

『ロンド・ロンド・ロンド』に触発されて読んだ『虎よ』だったが,それ自体たのしく読めたのでよかった.奥歯の加速装置や身体に浮かび上がる文様など,どこかで観たことのある設定の元ネタに触れられてよかったという感もある.

『虎よ』を読むことで〈ワイドスクリーン・バロック〉の感覚を得たわけだが,〈ワイ(ル)ドスクリーン・バロック〉の方は一体どうなってしまうのだろうか? 『虎よ』はかなり暴力的だったが,『スタァライト』ではこれほどの暴力は出てこないだろう.空間的な舞台はどうか? 地球外に出ることがあるのか? 時間旅行は? 世界の命運は?

もちろん『スタァライト』は〈ワイ(ル)ドスクリーン・バロック〉であって〈ワイドスクリーン・バロック〉ではない,と言うことはできる.しかしせっかく言及したのだから,ぜひとも〈ワイドスクリーン・バロック〉的要素があって欲しいと私は期待する.そもそも劇場の上は無限の舞台,宇宙だろうとなんだろうと表現できる巨きさがあって欲しいと思っている.

とはいえ私は『スタァライト』はにわかなので(舞台版もゲーム版も観たことがないし,これから観ようという気力も今のところない),私のまったく知らない要素があって,それでSF的な要素を回収したりするのかも知れない.3 まあ,よくわからない.とりあえず来年の公開を待とう.4


  1. 上の冬木氏のブログからの孫引きです.申し訳ないです.

  2. 「これは遠い星の,ずっと昔の,遥か未来のお話」

  3. よく知らないが露崎まひるの好きな猫のキャラクターの名前がスズダルキャットというらしく,これはコードウェイナー・スミスの〈人類補完機構シリーズ〉の短編『スズダル中佐の犯罪と栄光』に由来しているらしい(この短編は『スキャナーに生きがいはない』に収録されているので後で読んでみよう).ほんとかどうかは知らない.

  4. 言い残しのないようにしておこう.『ロンド・ロンド・ロンド』に出てきた円錐の連なる図形は,SF脳的には連なる光円錐に見えなくもない.宇宙ジョイントしろ! 血によって「物語が次の上部構造に移る」というのはとてもかっこいい.いったい幾つの上部構造があるのか? 有限か無限か? こういうことを言われるとボルヘス方向もいいんじゃないかと思ってしまうぞ.